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年を重ねるにつれて感じるようになった時間という存在

私の3人の息子たちは毎日活発に遊んでいる。

彼らを見て思うのは、時間という概念を全くといっていいほど理解していないなという事だ。子供はそれが当然なのだろうか。

大人でも、物事に追われずゆとりがあるときは時間を意識していないのかもしれない。時間というものは、仕事を持ち、徐々に責任のある立場になり、やらなければならないことややりたい事がどんどん増えていって、スケジュールを考えていかなければならなくなって漸く意識するものなのかもしれない。

確かに私自身、大学生の頃でさえ時間というものを無限のように捉えていた気がする。というよりは、時間に対しての意識が薄かったと表現した方が的確だろうか。医学生として、同年代に比べると人の生死に向き合う機会は多かったにも関わらず、その有限の時間というものを自分の事として置き換えて考えたりはしていなかったのだと思う。

テニスサークルに入り、毎日テニスボールを追いかけ楽しく大学生活を送っていたあの頃の自分が人の生死や時間の大切さに思いを馳せることはなかった。

というより、時間の大切さを感じとれるようになったのは、ここ数年のことかもしれない。

そして年齢を重ねるにつれて、その大切さ・尊さというものをより身に染みて感じられるようになってきているように感じる。

大学を卒業し研修医としての勤務を終え医局へ入局すると、365日毎日病院へ出勤しては深夜まで働く日々を送っていた。

生産性は決して高くなかった。手術を22時に終えて病棟の回診待ち、医局の中に平然と存在していた上司が業務を終えるまで待機しなければならない風習。

そういった隙間時間は同僚や先輩との雑談で消えていった。

その当時から読書は趣味であったが、何か目標立てて読書をしていなかったため好きな本をただ読むだけだった。

今思い返せば、ボーッと過ごしてしまった時間に対し反省せざるを得ないのだが、この経験があったからこそ時間の使い方というものに敏感になれたのだと思う。目標意識を高く持ち、管理していこうという意識はこのおかげもあり人一倍強くなったと思う。

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